先代・岡宮鶴雄の創業時の逸話

 
<最初の出会い>

 先代が終戦も間もないころ近くの理髪店で顔を剃ってもらうと、レーザーの先が角張って肌にチクチクあたる。
 そこでついそのレーザーを手にし、砥石まで拝借して先を適当に丸めてから・・・「これでやって下さい。」・・・こんな客には職人もさぞビックリしただろう。
よせば良いのにさらに・「こんな風に研磨するとよく切れるようになりますよ。」
と帰りがけに言葉を残して奥から店の主人に睨まれる。 
 長い人生では運命を変えるような出会いがあるというが、そのご主人が数日後の晩に家にやって来た。
 その散髪屋さん「研磨に悩んでいたタイミングであんなことを言われたので腹も立ったが・・思い返しながらやってみたら、それなりの結果が出てきた。
チョット立ち聞いただけで、これだけ切れるようになるのなら、ジックリ教えていただけたらと思い恥を忍んでお訪ねしたのです。」
 理髪店主の意気を汲んだ先代は持ち込まれたレーザーを挟んで遅くまで彼と、とことん付き合い話が弾んだという。
 

 <研磨の講習のボランティア>

 ところがその散髪屋さん、次の日の晩もやって来て質問を投げかけて来る。先代も当時の未熟な知識では即答出来ないこともある。・・そこで何とか答えようとして考えた。・・そのようにして出て来た思いつきや理論的説明がその後の役に立つとは、そのときは思いも及ばなかっただろう。
 そんな晩が一週間近くも続いて、一応初級講座の卒業ということになったわけだが、それからしばらくして「仲間に研磨の技術を教えていたら、研磨の講習を頼まれたがどうしようか。」と彼が相談にやって来た。
 先代が「貴方はタダで教わった研磨技術なのだから、貴方もタダで皆に教えて上げたらよろしいでしょう。」「当然質問攻めになるでしょう、不安なら私も付いていきますから理論的説明は任せてください。」「貴方は実技だけやったらよろしい。」・・・


 <東京に進出>

  講習会は大変好評だった。それから何度かアンコールに応えて講習会を重ねるうちにそれが評判となり、その記事が業界新聞に掲載されたのだ。

そんな事があって東京方面からもお声がかかり父は単身上京するようになる。一方手先が器用なこともあって独特なレーザーや手入れの道具も考案して、いつの間にか自然とそれが本職となってしまったのだ。

ところがある講習会の席で「岡宮さん、鋏のことも教えて貰えないでしょうか。?」と問われ予期せぬ事態となった。

父は戸惑いながら「それはチョッと違うのではないですか。鋏のことはあなた方のほうが私などより詳しい筈でしょう。」・・・ところがそこでまたビックリするような言葉が返って来た。
 「岡宮さんに鋏を勉強していただいて、それを私たちに教えてくれればよいのです。」

こんな事を頼むほうも頼むほう、またそれを真に受けて入れ込んでしまう父の性格が現在の有限会社岡宮刃物技研を築く基礎ともなる道を拓いたのである。

 最後に、その当時、父に鋏のことを教えてくれた恩ある方々、また共感して折あるごとに様々な形で支えて下さった方々にこの場をお借りして、心よりに感謝の言葉を申し述べたいと思います。本当に色々と有難うございました。
                            終わり
 

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